ガラスの表面に“すりガラス”状の加工を施す技法には、「グラヴィール技法」 「サンドブラスト技法」
「エッチング技法」などがあります。
グラヴィール(Gravure)
グラヴィール技法とは、研磨剤を付けた銅の回転盤でガラスを削り、ガラス面に模様などを彫刻する技法です。
多数のグラインダーを使い分けることで、緻密な彫刻も可能な表現力の豊かな技法です。
グラヴィールは仏語で“彫刻”の意味をもち、英語ではエングレーヴィングと言います。
元々は水晶彫刻の技法を、16世紀末頃にボヘミアの宝石彫刻家カスパー・レーマンがガラスへ応用したのが始まりです。
希代の芸術愛好家である国王ルドルフ二世は、プラハを神聖ローマ帝国の首都とし、各地から芸術家を集めて芸術・文化の中心地としました。
プラハ宮廷に出仕したレーマンは水晶彫りの技法を使い、テーブルグラスを始めとする色々なガラス器に彫刻を施し献上しました。
透明度と硬度に優れたボヘミアのカリガラスは彫刻系技法に適しており、グラヴィールはこのカリガラスの特徴を生かす技法でもありました。
精細なレリーフ彫刻はハプスブルク家を中心とする帝国内の貴族たちの間で絶賛され、瞬く間にヨーロッパの上流社会の人気を独占します。
余談ですが、呼び寄せられ庇護された者は画家や作曲家などの芸術家だけでなく、天文学者や動植物学者、占星術師や錬金術師から
魔術師に至るまでいたと言われます。当時のプラハ宮廷には天文観測所から貴重な動物を集めた動物園まであったそうです。
天文学の父とも言われるヨハネス・ケプラー(ケプラーの法則や現在のハレー彗星を見つけた天体物理学者)が火星の観測を行ったり、
惑星の運行表を作ったりしたのもここであったそうです。この惑星運行表はルドルフ二世の名にちなみルドルフ表と名づけられました。
プラハはのちに魔術の帝国、綺想の帝国などとも呼ばれるほどに一大文化芸術都市として栄えたそうです。
美術史美術館の至宝と言われるブリューゲルのコレクションのほとんどは、このルドルフ二世によって集められた物になります。
サンドブラスト(Sand-blast)
サンドブラスト技法とは、金剛砂などの硬質の砂を圧縮空気で吹き付け、マスキングシートに保護されていない部分を削ることで
ガラス表面に彫刻を施す技法で、ガラスの彫刻技法としては100年ほどの歴史の比較的新しい技法になります。
1870年にアメリカでベンジャミン・ティルマンによって開発されたこの技法は、非常に風が強い地方では風に運ばれた砂が建物の窓ガラスを削ってしまうところから発見されたと言われています。
当初は船舶の錆落とし用として発明され、金属表面の研磨など工業用途で使われていましたが、その後に石やガラスの彫刻などの芸術用途に使用されるようになります。
エッチング (Etching-glass)
加工しないガラス部をワックス等でカバーしてから、フッ化水素酸などでカバーされていない部分を溶かすことにより装飾を施します。
酸性液で表面を浸蝕させる技法が開発されたのは1771年のことですが、実用化されるのは1855年になり、ケスラーがフッ素水素酸による加工法を確立してからになります。
蛍石の粉末を硫酸に混ぜると、ガラスを腐食する不思議な薬液(フッ化水素酸)が得られることは発見されていましたが、
薬液の製法は一般には秘密にされていました。
これが19世紀に製法が公開されると、多くのガラス工芸で用いられることになっていったわけです。
しかし、廃液の処理や有毒ガスの害など手間と危険性を併せもつ手法でもありました。
エッチングによる装飾は大きく2つに分けることができます。
1つめは、広範囲な“面処理”をするもので、それはガラス器全体に及ぶこともあります。侵蝕度をコントロールすることで艶消し、粉吹きなどの効果を得ることができます。
2つめは、“線刻”です。まずガラス器全体を蝋とテレピン油またはワックスなどで覆い保護膜を作ります。次に針ペンなどでその保護膜にモチーフをデッサンします。その後酸性液にガラス器を浸すと、保護膜の削られた部分だけが侵蝕される仕組みです。
他のカット技法などに比べて複雑な模様を描きやすいので、幾何学模様などの装飾に効果を発揮しました。
立体的な彫刻から、絵画のような繊細な表現をすることまでできます。